会社員でも自由に働けるようになる方法

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)
著者:森 博嗣
販売元:集英社
(2009-11-17)
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自分がフリーランスで仕事をしているというと、反応は「いいですね~」と「大変ですね」の両方に分かれる。リーマン・ショックの後は「大変ですね」の方が多い気がするが。

もう少し詳しく話を聞くと「いいですね~」という人は、自由に仕事をできることに魅力を感じ、「大変ですね」という人は自由であるがゆえの自己管理の大変さや仕事の不安定さを心配するようだ。いずれの感想にしても、フリーランスは働き方の自由度が高いという前提に立っている。

確かに時間の自由度は高いが、その他の面ではフリーといえどもお客さんがあっての仕事だからまるっきり自由ということはない。ほかにも予算面の脆弱さは何か行動しようというときの足かせになるし、誰かの支援が欲しくても隣の同僚に頼むほど簡単にはいかない。勤め人としての制約は受けないかわり別の制約も発生する、ということだ。そうすると、会社員かフリーランスかの違いは必ずしも自由であるか否かを意味しない。

そもそも「自由」とはいったいどういうことだろうか。
作家の森博嗣は『自由をつくる自在に生きる』でこう書いている。

自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由」なのだ。


この定義に従えば、私たちはさまざまな支配を受け、自由を束縛されている。たとえば朝、寝ていたいのに仕事で会社へ行かねばならないとしたら、自分の思いとおりに行動できていないという点で不自由である。だが、仕事へ行けば給与をもらえるという点で、自分にとってはプラスになる。人がプラスのものに支配を受けるのは、「社会システムは、こういった『交換』のうえに成り立っているからだ」。

常識も人々を支配する。やりたいけど人目が気になってできない、というのはその一つ。もともと持ち合わせている能力からも人は支配を受ける。超人的な努力をしたところで人間は自動車より速く走れない。逆に、「自分は35歳超えたから転職は無理」というような、自分自身の勝手な思い込みによる支配もある。

一方で支配は必ずしも悪いことではない。会社は集団の足並みを揃えさせることで、一人ではできない大きなことを易々と成し遂げる。法や道徳の支配によって、他者に害悪を与える個人の欲望は抑制される。親が子を可愛がることも支配といえるだろう。すべての支配を排除しようとすれば人間は破綻する。

しかしながら基本的に求めている方向は自由であり、大事なことは自分を「支配」するものを自覚することだと著者は説く。

森氏はよく知られているように、大学の建築学科で研究に従事しながら40歳近くになって小説を書きはじめ、小説家に転身した。小説を書き始めたのは仕事として稼ぐため、そして好きなことを自由にできるようになるためだったという。しかし学生時代の一番苦手な科目は国語で、それまで小説を書いたことさえなかった。

そんな一見無茶な話を実現できたのは、無茶と思わなかったからである。

僕は「自分には小説なんて書けない」とは一度も思わなかった。どんなに国語が苦手でも(偏差値は40点以下だったと思う)、書けばそれなりに書けるだろう、と思っていた。だから書いたのである。(中略)どんな場合であっても、人間は自分が思ってもいない方向へは決して進めない。


支配には物理的に無理といった本当にどうしようもないものと、自分の思いこみのような実はどうにでもなるものがあると思う。後者のくびきに気付き、自由な発想で自在に行動すると、やがて森氏のように成功や「思いとおりにできた」という満足を得られる、かもしれない。少なくともどうにでもなる支配に縛られて何もしないよりマシだし、楽しい。この志向性は行き詰まったり追い詰められたりした個人や組織、社会の状況を打破する有効な手立てになるのではないか。

では、前者の「本当にどうしようもない支配」は甘受するしかないのか。私はそうでもないと思う。むしろ限界があるからこそ、そこにギリギリまで近づこうとする動機が生まれる。ボルトだって空を飛べるわけじゃない。ってお気づきの人もいるように、本書を読んでいて頭に思い浮かんだのは車椅子バスケの世界を描いたマンガ『リアル』の一節だった。

人間の限られた能力の中でどれだけあがけるか。
それによっては――
9秒台で走る人間だっているってことだよな

real8-140

(井上雄彦『リアル』8巻 集英社)

自分を支配するものを自覚したうえで、自由に発想し、思い通りにできるようあがき、持てる能力を自在に発揮していく。自由に働くとは必ずしも立場や所属の問題ではなく、そういうことではないかな。

あなたは自由に働いていますか?

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