不況時の経済政策を誤ると人が死ぬよ、という話(書評)

新型コロナウイルスの感染者数増加が落ち着いて非常事態宣言が解除され、これ以上の経済的なダメージをどう食い止めるかについて焦点が移っている。今回のような深刻な事態で、政府は経済政策としてどのような処方箋を出すのが効果的なのだろうか。

過去、大不況に直面した国の政府は国民に対し、主に二つの治療薬のいずれかを選んで投与している。二つの治療薬とは「財政緊縮策」と「財政刺激策」である。

財政緊縮策とは、政府債務や財政赤字増大といった症状への緩和と景気の落ち込みの治療を目指す薬で、具体的には健康保険、失業者支援、住宅補助等への政府支出の削減である。一方、本書でいう財政刺激策とは社会的セーフティネットに積極的に予算配分することだ。

たとえば、リーマンショック後の世界同時不況において、イギリスやギリシャ、スペイン、イタリアが財政緊縮策を選択し、スウェーデンやアイスランド、デンマーク等では緊縮策をとらず、セーフティネットの強化に予算を充てた。

さらに歴史をさかのぼれば1929年のウォール街大暴落に端を発する大恐慌で、アメリカは有名なニューディール政策をとったが、実は積極的に採用した州とそうでない州があった。ソ連崩壊後の旧東側諸国や1990年代の通貨危機後のアジア諸国でも、二つの治療薬の選択が行われた。

つまり、昔から重大な経済危機時のたびにこの治療薬問題は浮上し、そのたびにイデオロギー対決の様相になるのがお決まりの展開なのだ。

経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策』は二つの治療薬の比較試験を行った研究者が、一般にもわかりやすくその結果をまとめている。著者たち自身が執筆した査読論文がベースで、つまりはイデオロギーではなくエビデンスに基づいた話が展開されているが、この手の本にありがちな小難しさはできるだけ排除され、一般の読者に研究成果を広めようとする意図が伝わる。

著者たちは、不況をめぐる議論はGDPや財政赤字、政府債務などに焦点があてられ、人間の健康や幸福についてはあまり語られないと指摘する。本書の特徴はこの「人間の健康や幸福」という観点から財政緊縮策と財政刺激策がどのような結果をもたらしたかを明らかにしている点で、その結論は、緊縮策を採用した国は不況の長期化と健康被害をもたらし、公共部門への投資を増やした国は景気回復が早く、公衆衛生上の危機を防いだというものだ。健康にとっては危険なのは不況そのものではなく、無謀な緊縮政策であると。

たとえば、リーマンショック時の金融危機でアイスランドのGDPは2年で13%落ち込み、失業率は3%から7.6%に跳ね上がった。IMFからは融資と財政緊縮策をセットにした支援プログラムが提示され、そこには保険医療関連予算を30%削減する内容が含まれていた。

しかし国民が抗議の意思をデモや国民投票で示したアイスランドはIMFの極端な緊縮策を拒否し、社会保護政策を堅持した。その結果、07年にGDPの42.3%だった政府支出は翌年、57.7%に急増したが、緊縮政策の支持者が言うようなインフレ率の上昇や負債の膨張、海外依存度上昇などにはつながらず、深刻な健康危機も生まれなかった。

そして12年にアイルランド経済は3%成長を達成し、失業率は5%を切り、IMFから借り入れた資金の返済も始まった。

2011年6月29日アテネ・シンタグマ広場での暴動取り締まり(著作権者:Ggia / CC BY-SA

一方、ギリシャもリーマンショック時に経済的な打撃を受け、GDPは09年に3.1%、10年に4.9%と大きく落ち込む一方、失業率は08年の7%から11年には17%に跳ね上がった。自殺者は急増し、とくに男性は07年から09年にかけて自殺率が24%上昇した。

救済を要請されたIMFは09年にGDPの13%だったギリシャの財政赤字を14年までに3%以下に引き下げることを重点目標とし、公務員の解雇や年金の凍結等による歳出の大幅削減、国営企業の売却、付加価値税の引き上げなどからなる緊縮策を提示した。市民から抗議の声は上がったが、10年にギリシャ政府はIMFの緊縮策を飲んで巨額の資金援助を受けた。

アイスランドと異なり、ギリシャはIMFから条件として課された緊縮策をそのまま実施したのである。

その影響はギリシャ国民の生活や健康に表れた。住宅の差し押さえが急増し、ホームレス人口が2年で25%増加し、殺人事件は07年から11年で2倍に増えた。不況に加え緊縮政策で公衆衛生予算を削減した結果、感染症の発症率が急上昇し、ウエストナイルウイルス感染症やマラリアが発生したほか、HIV感染者が急増した。苦境に立たされた若者たちが路上生活を強いられ麻薬に手を出し、注射針の使いまわしによる感染が増えたためである。

予算が削減された病院では必要な医薬品を調達できなくなり、支払いが滞ったため製薬会社がギリシャから撤退し、5万人の糖尿病患者からインシュリンが奪われた。医師や職員が削減され、診てもらえない患者が増え、著者たちはこの時期、必要な治療を受けられなかった65歳以上の高齢者は6万人に上ると試算している。

これだけの犠牲を払いながらギリシャの政府債務は増え続け、11年にはGDPの165%に達した。IMFは12年に緊縮政策の間違いを認めざるを得なかった。本書はIMFの支援策をこう批判している。

「“支援”のはずの救済策は、実際には雇用減少、消費低迷、投資低迷、信用失墜といった負のスパイラルを招き、その弊害が“健康危機”となって表れた。」

 こうした過去の政策検証はいま、消費増税による景気低迷に新型コロナウイルスのダメージが直撃した、日本の経済政策を考えるうえでの指針を与えてくれる。

それは不況時に緊縮政策をとりセーフティネットの予算が削減されると失業や住宅差し押さえの発生により、人々の健康は大きな打撃を受けるが、社会保護政策への先行投資は正しく運営される限り短期的に経済を押し上げる助けとなる。つまり健康維持と債務返済の両立は可能であるという点であろう。

今のところ日本の新型コロナ経済対策は本書の主張と同じ方向を向いていると思われるが、怪しげな動きも散見される。なぜか日本では「痛みに耐える」式の緊縮政策が人気を集め、推進されてきたが、それが失われた20年を招いたことはいい加減に学習するべきだし、不況下でその政策をとることは、景気はおろか国民の生活と健康に深刻なダメージを与える事実は共有しておくべきだろう。

 

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