企業が正社員数を絞るとともに即戦力志向を強めた結果、企業内教育を受ける機会を逃す若年層が増えています。一方、学校教育では相変わらず実務に役立つようなカリキュラムはあまり実施されず、職業教育を担うことに対する抵抗感も強いようです。
つまり、学校は学力水準の指標を提供し、企業はそれを基準に新卒採用を行い従業員教育を行うという、従来の職業訓練の仕組みが機能しなくなっているのです。そのため、仕事を遂行する上で必要な知識や技能を身に付けないまま社会に放り出される若年層の増加という深刻な問題が今後、クローズアップされていくことでしょう。
このような状況を踏まえて執筆されたのが『教育の職業的意義』(本田由紀 ちくま新書)で、著者の執筆意図は明解です。
<日本で長らく見失われてきた「教育の職業的意義」の回復がいままさに必要とされているということを、広く世に訴えることにある。>
学校教育が職業教育を担うことについては、さまざまな立場から批判があります。冒頭でそれらに対する批判を逐一行ったうえで、著者は「教育の職業的意義」がわが国で失われた歴史的経緯や国際的な比較等を行いながら、その必要性を論じていきます。
では、実施すべき職業教育とはどのようなものか。著者は次のように述べています。
<そのような仕事の世界への準備として欠かせないのが、第一に、働く者すべてが身につけておくべき、労働に関する基本的な知識であり、第二に、個々の職業分野に即した知識やスキルである。総じて、全社は、働かせる側の圧倒的に大きな力、しばしば理不尽なまでの要求を突きつけてくる力に対して、働く側がただ翻弄されるのでなく法律や交渉などの適切な手段を通じて<抵抗>するための手段であり、後者は働く側が仕事の世界からの要請に<適応>するための手段であるといえる(ただし、このような性格づけは相対的なものであり、いずれも内容に応じて<抵抗>/<適応>の両面をもちうる。)>
給与が切り下げられ、サービス残業などの違法行為が当たり前になっている現状において、労働に関する基本的な知識は不可欠であるし、職業分野に即した知識やスキルがなければそもそも成果に貢献できず、会社としてはその人を雇っている意味がない。ともすればどちらか一方に偏りがちな「抵抗」と「適応」の手段をセットで身に付けるということは、実際に職場で働いていくうえでとても重要だと思います。
ただ、本書が物足りないのは、著者自身が「具体的なカリキュラムや教育方法を、仔細に提示できるわけではない」とあとがきで触れているように、職業教育の基本的な指針は示されていても具体的な方法論には欠けている点です。
著者は最近、学校で行われるようになったキャリア教育について、若者に対する為政者の願望が詰め込まれたため、学校現場にとってあいまいで負担の重いものになり、<「自分で考えて自分で決めよ」という規範や圧力のみが高まる結果になっている>と強く批判しています。それと同じ構図が自身の主張でも発生している感があります。
この弱点は研究者であって実務家ではないのでそこまでは踏み込まない、ということなのかもしれません。でも学術論文ではなく一般向け新書なのだから、さわりだけでも著者なりの見解を書いてよかっただろうし、それが現実的でないと実務家から批判されたとしても、議論の出発点になってよかったんじゃないかなあ、と。
いま、社会のなかで担い手がいなくなりそうな職業教育の現状を俯瞰できるという点で、本書は非常に読む価値のある一冊ですが、本当にその辺がもったいないなあと思った次第です。
教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)著者:本田 由紀
筑摩書房(2009-12)
販売元:Amazon.co.jp
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