就職のキモは「消費者から生産者の立場へ意識を変える」こと

はてブで話題になってたこの記事は、自分のプー時代が思い出されて懐かし面白かった。

なぜ、「働く」とこと「内面」がここまで結び付けられるのか?
隠フェミニスト記

ブログ主は憤慨している。

<就活は企業に入るために、企業内のコミュニティーの価値観をコミュニティ外部にいるにもかかわらず、内面化し過剰適応しなければならないという要請だ。

そして、本来、企業に入ってからでしか、生成されないはずであるの「対企業用自己」なるものをある程度装備させるために、自分史すら偽装させる行為である。>

熱いなあ。ただ、この人はあんまり営利企業の中で働いた経験はないのかな。就職のとらえ方が観念的過ぎるなあと。どちらかというと、会社に入るときに必要なのは企業内コミュニティ価値観への適応以前に、「消費者から生産者の立場へ頭を切り換える」ことなんだけど、そこがわかっていない。かくいう僕も、就職活動していた頃、それが全然わからなかったんだけど。

僕が大学を卒業したのはバブルの余韻が残っている頃でした。好景気のおかげで二流大学でもみんなそこそこいい会社に決まっていたけど、僕は就職活動しないで長旅に出ました。あのバブルで浮かれた阿呆な連中と机を並べて働くなんて嫌だったし、とにかく海外を時間無制限一本勝負でブラブラしたかった。今考えると社畜論の影響があったかも。

そんな僕が就職活動をはじめたのは20代半ば。海外の日本人のたまり場で、30歳超えて手に職のないおっさんたちがどうしようもない生活をしているのを見て、こうはなりたくないなあと思ったのでした。でも、その頃は景気は悪化の一途をたどり、就職市場はかつてと一変。新聞、出版関係の募集ならなんでも応募しまくったのですが、ほとんど書類選考でアウト。新卒じゃなかったしね。深夜、ガードマンのバイトで食いつなぎながらたま~に昼間面接受ける時期が一年近く続きました。

そんなどうにもならない僕を拾ってくれたのは、しょぼい専門紙でした。入社できた理由は入ってすぐわかったんだけど、とにかく人の入れ替わりが激しかったから。絶対的なボスが好き勝ってやらかす会社で、怒りを買うといきなりヒラに降格されたり給料半分に減らされたり。怒鳴られすぎて精神病んで辞めた人もいたし、「わしの女になれ」って言われて辞めた女性もいた。

僕も怒鳴られまくってかなり凹みましたが、仕事自体は楽しかったし、いろんな学びや発見もありました。今でもおぼえているのが「取材先がうちの新聞購読していなかったら、必ず契約取ってこい」という指導。なんで記者が営業しなきゃいけないの、と素朴な質問をしたら「お前は自分のつくった新聞、読んで欲しくないのか。それに、お前の給料はどこから出ているんだ」と心底バカを見る視線で言われました。

それでやっと気づいたのです。記事書いても読者がいなきゃ意味ないし、お給料ももらえないのだと。その辺から、僕は少しずつ生産者の立場を身に付けていったような気がします。極端な話、消費者は不満があれば文句言ってりゃいいけれど、生産者は必死になって価値創造に取り組んでお客様を獲得しなきゃいけない。就職する以前の僕はそんなこと一切考えたことがなかった。そりゃ、どこも採用してくんないわ。

この「消費者から生産者の立場へ頭を切り換えること」は、就職活動をしている人を見ているとけっこう見落とされているか、理屈はわかっても理解はできていないことが多い感じがします。そもそも就職活動自体、自分の労働力を企業が提供する給与や待遇と交換する交渉のはずなんだけど、なぜか一方的に人格改造を強いられるみたいな被害妄想になっちゃうのはそれがわかっていないからじゃないかなあ。別に売りたくない相手に自分(の労働力)を買ってもらう必要なんかないし、お互いに歩み寄れる範囲で合意することだってできる。

就職活動で企業からいっぱい蹴られると凹むし、どうしても企業優位になるから仕方のないところもあるんだけど、あまり頭でっかちになって自ら働くことを敬遠し、結局働くことの楽しさを味わえなくなってしまっては、あまりにもったいなさすぎると思うのです。
(2010.1.31 元の文章に加筆修正しました)

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