被災地ジョークと東京との隔たりと見守るということ

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被災者ジョークというのがあるそうだ。出典は忘れたが、確かこんな内容だった。

「うちはベンツ流されちゃった」
「うちなんかフェラーリなくした」(もともとそんなものは所有していない)

家を流された人が跡地で「好きなところに上がってちょうだい、狭いけど」…


こうして被災者同士笑いあうというか、痛みややるせなさを共有しているのかもしれない。でも、被災していない者がそんなことを言われたら反応に困ってしまうだろう。そこには被災者とそうでないものの間に、見えない隔たりが存在しているからだ。

東北を駆け足で回り、何人か被災した方にお話を聞いていて常に感じたのがこの「隔たり」だった。目の前の人は大事な人や仕事や住むところを失っているのに、こちらは何も失わず相変わらず平々凡々と暮らしているだけなのだ。同じ時、同じ空間にいながら、この落差は何なのだろう。たまたま住むところが違っただけで何事もなかったことが申し訳ないような、いたたまれないような気持ち……。

そういえば、ちょっと前に増田でこんな記事も話題になっていた。

「何か、できることある?」
何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」
と言われた。
「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、
 俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」


もちろんこんなこと面と言われたことはないし、むしろ来訪をねぎらっていただくことが多かった。ただ、いまはツイッターでリアルタイムに現地の方のつぶやきも見られるから、こちらが東京で酒飲んでくだ巻いているときにも生活が安定しない不安を嘆いていたり、国の不十分な対応に憤りをぶちまけたりするツイートが目に入ってきて、ますますあちらとの隔たりを感じ申し訳なさのような感覚がわき上がったりもする。

この隔たりは被災地のなかでも存在するのを感じた。原発の影響をいまだに受けて身動きの取れない南相馬市などの福島県と、将来に向けて動き出せる宮城県、岩手県。あるいは同じ自治体でも津波が到達したエリアとそうでない場所。もしかしたら被災者でなくても、被災地の状況を生で見てきた者とそうでない者の間にもあるのかもしれない。

「隔たり」から発する、もやもやした気持ちの落ち着かなさをどうしたものか。

そんなことをぼんやり考えていたら、大阪大学の鷲田清一総長が卒業式の式辞で「隔たり」ついて言及していることを教えてもらった。鷲田総長は「隔たり」について考察したうえで、阪神大震災の被災の現場で医療活動にあたった精神科医の中井久夫氏の話を引きながら、「見守ることがいかに人を勇気づけるかについて述べている。

人にはこのように、だれかから見守られているということを意識することによってはじめて、庇護者から離れ、自分の行動をなしうるということがあるのです。そしていま、わたしたちが被災者の方々に対してできることは、この見守りつづけること、心を届けるということです。


全文はこちらにあるので、未見の方はぜひ読んでほしい。

支援物資を直接・間接に届ける、義援金を送る、東北の産品を消費する……。被災地ではない地域に住む人間ができることは限られているが、確かに「見守りつづけること」が何より支援となるのかもしれない。被害は甚大で、復興は長期戦だから。

被災地、被災者との隔たりは埋めようもないが、せめてこちら側で無事だった者としては、強い関心をもって被災地を見つづけようと思う。

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