柔道全日本女子の園田隆二監督による選手への暴力や桜宮高校の体罰問題など、スポーツ界における指導者の暴力的指導がクローズアップされています。こういう問題を考えるとき、格好のケースが暴力的指導を一掃して常勝チームをつくった落合元中日監督だと思うのですが、中日ファン以外にはあまり知られていないようで。そりゃそうか。
そこで、落合監督のチームづくりについて簡単にまとめておこうと思います。
封建的な野球部の体質に嫌気
中学一年から四番でエースを張った落合氏は秋田工業に進学し、高校でも一年から四番を打ちました。しかし、すぐに野球部の練習どころか学校へもろくに登校しなくなり、試合の一週間前になると監督からお呼びがかかって練習に出る、という幽霊部員と化します。その理由は、先輩部員からの暴力でした。
いきなりレギュラーだったから、そりゃもう、風当たりなんか人一倍強かった。上級生には毎日ぶん殴られた。
だいたい、オレが練習に行かなくなった一因もそこにあるんだ。野球部の封建的な体質がたまらなかった。だって、たかが一、二年早く生まれただけで、なんでそいつらにぶん殴られなきゃいけないの。
(落合博満『なんと言われようとオレ流さ』)
高校を卒業した落合氏は東洋大学野球部に進み、卒業年の二月から合宿所にはいりましたが、早くも四月には夜逃げ同然で飛び出し退学しました。辞めた理由は「高校のときと同じ」。
ちなみに退学後は上野公園や日比谷公園でホームレス同然の生活をした後、帰郷。ボウリング場でアルバイトをしながらプロボウラーを目指したものの、プロテスト受験の際にスピード違反で切符を切られ、受験料が払えなくなり断念したそうです。
そして紆余曲折の末、社会人野球からプロ入りして三冠王三回の偉業を成し遂げ、2004年から中日ドラゴンズ監督としてチームの指揮をとることになります。
「指導者の顔色をうかがって動くような選手を育てるな」
落合氏が監督した際、呼び集めたコーチに選手への暴力を禁止しました。これについて、落合監督の右腕を務めた森繁和元ヘッドコーチはこう述懐しています。
さて、いざ契約という段階になって監督から言われたのが、
「選手にいっさい手を上げてはならない」
という、特に私への要望だった。
「シゲ、これだけは守ってくれ。このチームは、シゲが今まで指導してきたチームと違うぞ。選手が、監督やコーチの顔色や機嫌を見て動くようになっている。選手が上に怯えているようではいけないが、その習性が抜けきっていないチームだ。首脳陣が舐められてしまうことは良くないが、指導者の顔色をうかがって動くような選手だけは育てないでほしい。だから、手だけは上げないでくれ」
(『参謀 落合監督を支えた右腕の「見守る力」』)
では、鉄拳を使わずどう選手を指導していくのか。落合氏はこう書いています。
8年間、監督を務めてきて強く感じているのは、選手の動きを常に観察し、彼らがどんな思いを抱いてプレーしているのか、自分をどう成長させたいのかを感じ取ってやることの大切さだ。自分なりに選手の気持ちを感じ取り、その意に沿ったアドバイスをすることができれば、それが厳しさを含んだものであれ、選手がこちらを見る目は変わる。
(『采配』落合博満)
暴力が選手へ恐怖を与えていることすら気付かなかった、女子柔道の園田監督とは対照的な姿勢だと思います。こうした指導方針の結果は、監督を務めた8年間でリーグ優勝4回、それ以外の年もすべてAクラスという輝かしいものにつながりました。
スポーツ界の暴力問題について、落合元監督の事例から学ぶべきことは二つあると思います。
一つは、暴力を振るわなくても強い選手とチームを育て、勝てること。
もう一つは、暴力を振るわれた選手が競技をやめるかもしれないこと。
もし落合氏が高校か大学で野球部をドロップアウトしたままになっていたら、これほど卓越した選手、監督の活躍を我々は見ることができませんでした。有望な選手の芽を摘むことは、その競技にとっても大きな損失というか、自殺行為でしかありません。
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