そんな簡単にやんなっちゃったわけではなさそうだ、という話

 牧伸二さんというと、日曜日のお昼にアロハ姿で「あーあ、やんなちゃった」と歌う人というのが、おそらく40代半ばくらいの人間に共通した記憶ではないだろうか。あと、童謡の「結んで開いて」を歌いながら「ま~た開いて」のところで股間を広げる振りをよく真似した覚えもある。まあ子供でしたから。
 この『大正テレビ寄席』という番組は1963年から78年まで続いた。牧さんは1934年生まれなので、29歳で全国放送番組の司会者ポジションをゲットしたということになる。Wikiによれば『やんなっちゃった節』で人気者になった牧は1960年には文化放送でレギュラー番組を持った、とある。わりと早く売れた人のようだ。
 ただ『完璧版 テレビバラエティ大笑辞典』(高田文夫/笑芸人編著)によると、Wikiの記述とは微妙に異なっていて、『やんなっちゃった節』は『大正テレビ寄席』の司会を始めるにあたって考えだし、大ヒットさせることに成功したとある。どちらが正しいかはわからないが、同書はあのフレーズが生まれたときのエピソードにも触れているので引用しておこう。
 当時10円の切符を買って山手線をグルグル回ってネタを探してるときに、「あーァ、つまんねェな。やんなっちゃったなァ」という乗客が多いのにヒントを得て、そこに時事ネタ・風刺ネタを盛り込みながら作り出した『やんなっちゃった節』。毎週変わった新しいネタを作るのはもちろん容易なことではなく、東急の屋上でひとりネタ作りに四苦八苦する牧伸二を見て、守衛の人が「もしかしたら自殺するのでは!?」と勘違いして大騒ぎになったというエピソードもある。
 自死を伝えるニュースによれば、舞台と舞台の合間に姿を消して連絡が取れなくなったそうである。78歳だがまだまだ仕事があったようで、東京演芸協会会長も務めていた。健康問題はあったようで、2002年に脳出血で一度、倒れたことがあった。毎日新聞が再掲した「生涯漫談『やんなっちゃった』りしない」と題したインタビュー記事に、そのときの様子が描かれている。
 6年前、倒れた。ウクレレを持って歌おうとしたら、頭の中にぬるいものが流れ、左の手足が動かなくなった。家族もマネジャーも知らない秘密の仕事部屋だ。電話もテレビもない。ここで死んだらミイラになる。片足跳びで外に出て、タクシーに乗った。
 夜の病院でベッドにつかまり立ちして漫談の練習をした。予定していた名人会公演に出たかったのだ。心配する医者や看護師の前でウクレレ漫談をしたら、「牧伸二が慰問に来てる」って病院中が大騒ぎ。「慰問じゃねえよ。患者だよ」。1カ月半でスピード退院した。
 「60歳を過ぎて倒れると、あきらめちゃう人が多いね」。なぜだろう、という顔をする。「人生にたそがれなんてない。死ぬことも考えたことはない」
「やんなっちゃった」のフレーズがあまりにも印象深いので、僕らはつい「人生やんなっちゃったのかな」と想像してしまうけれど、仮にやんなっちゃったのだとしても簡単にそこへ行きついたわけではなさそうだし、高齢者の自殺率の高さを考え合わせれば、やがて老いたとき、僕やそこのあなたにもやってくる心情なのかもしれない。
 ご冥福をお祈りします。

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